こんばんは。banban(父)です。
今日は週1目標の非鉄デーです。前回はスポーツに関してでしたが、今回もスポーツの話題にします。

(再掲載)
たびたび当ブログにも登場しております。”マルーン号初号機”ことロードレーサーですが、この自転車との出会いと20数年の生い立ちを振り返りたいと思います。

まずロードレーサーとの出会いは(父)がまだ若かりし大学3回生の夏でした。テレビでなにげに見ていたツール・ド・フランスを観戦していて、「凄いなあ。20日で3500kmも走るのかぁ」と感じたのが始まりでした。当時はバリバリの体育会系の学生でしたので、もちろんロードレーサーを買う費用もありませんでしたが、たまたま友人が古いロードレーサーがあるから使っていいよと譲ってもらったのがきっかけでした。
で、お金は無いですが体力は有り余っておりましたので、往復90kmの通学を1度自転車で行ってみよう!と思って走ってみました。すると頑張って走ると2時間前後(帰り道は+15分)で走れることがわかりまして、電車通学でも乗り換え3回、約2時間掛かっておりましたので、週に1~2回なら自転車でも十分通学できると思い、大学3回生の2学期から週1回、4回生からのクラブ引退後は週2回自転車通学することができました。
当時は家族や友人などから”奇人・変人”扱いされましたが、当の本人は別に人間なんでもやればできるもんや、って感じで普通に走っておりました。しんどかったクラブの練習に比べると、自力で何十キロも走破できる喜びのほうが大きかったみたいです。
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現在の自転車はフレームこそ事故廃車による2代目ですが、使えるパーツ類はまだ使用しておりますので、まだまだ乗り続けたいと思っております。そのためにはメンテナンスは欠かせないので3~5年に1度徹底的に分解して調整・部品の交換・再塗装などを行うわけです。(ブログの記事参照)
以上が(父)の人生の半分以上共にしております”マルーン号初号機”の歴史でした。駄文・長文お付き合いありがとうございました。次回は冬の旅の続きで更新予定です。また見てください。
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- 2019/01/24(木) 23:15:53|
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