こんばんは。banban(父)です。
今日は久々に古い写真特集です。485系最後の国鉄特急色のラストランにちなんで、485系の国鉄時代の写真を集めてみました。
撮影はだいたい昭和60年~62年頃です(多分)。

最初は”くろしお”。いろいろと写真を整理していた中で、1番運行されていた期間が短いのではないかと思いましたので1枚目にしました。
当時、まさかの485系充当でした。特急列車の速達化の中で非振り子車両の充当は驚きましたが、現在も289系が走っているのを見ると、昔も今も車両の有効活用のほうが優先なのかな。

次は米原駅での”加越”です。
現在では見られなくなった(?)L特急のマークが誇らしげですね。このマークのついている列車は本数がたくさんあるというイメージでした。

次は”北近畿”定番の岸辺駅です。”阪急正雀工場”の背景がいいですね。JR(当時は国鉄)のお客さんに訴えかけています。

同じく北近畿の写真。場所は向日町操車場(大ムコ)です。一応許可を得て撮影しています。貫通扉が印象的ですね。

定番の”雷鳥”。関西圏の方には一番なじみのある列車かな。運行期間も一番長く”THE485系”です。でもこの編成スカートがクリーム色に塗装されています。一時的なものか、所属先の特徴かはわかりませんが貴重な1コマだといいのですが・・・。

大阪駅での1コマ。”ユートピア和倉”号との併結シーン。当時、電車とディーゼル車の併結は衝撃的でした。

同じく大阪駅における”臨時”幕の列車です。この写真のみ489系です。ネガを整理したらクハ489-204という記録がありました。違いはよくわかりませんが・・・。

最後は”白鳥”、山崎~高槻(当時)です。通称”サントリーカーブ”の逆アングルです。この写真のみJR化直後のようです。車体にJNRのエンブレムとJRマークのステッカーが混在しています。貴重な1コマ。
中学生だった当時、少ない予算(電車賃(小遣い))と限られたフィルム枚数(1ヶ月でフィルム1本(24~36枚))と闘いながらも、やはり485系の写真はそこそこ数がありました。今で言う”練習電”見たいな感じで撮影した写真もありますが、当時は来るべき本命列車のために結果はわからないのに必死でシャッターを切っていたのを思い出します。その結果、練習電のほうがきれいに撮影できているのもしばしば。でも、こうして眺めていると、きれいに撮影できた写真も、そうでない写真もいい思い出です。
485系の撮影が出来なくなるのは残念ですが、心の底から「この列車を撮影したい!」みたいな車両に出会いたいですね。
明日は、阪急か模型か、管理人の嵐電か、小ネタかはわかりませんが頑張って更新します。また見てください。
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- 2016/06/21(火) 23:39:57|
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